腰の痛みと憂鬱
4月12日
アデレードは曇りのち晴れ
僕の住んで居るバックパッカーはドミトリー(多人数部屋)しかない。
僕の部屋は6人部屋、ミックスルーム。
僕を含めて日本人男性が2人、日本人女性イタリア人男性カップル、ブリティッシュ男性1人。
僕は二段ベットの下で寝ている。上はブリティッシュ。
日も昇らない深夜、ブリティッシュの寝返りの音が聞こえる「ギギッ、ガタッ、ギギッ…」
今日は6時15分には家を出る必要がある。「まだ寝たい。」そう思ってしまた僕は時計も見ずに布団へ潜り込んでしまった。「同じ部屋に同じ仕事のワーカーも居る。起こしてくれるだろ。」
女性の声で目を覚ます。違う部屋に住むワーカーである。「…おはようございます…」階段を降りてみると僕以外のワーカーが一同に僕を待っていた。
ふと時計をみると”6時20分"すでに5分の遅刻である。「やれやれ…」そう思いながら急いで車を準備する。僕はドライバーである。
タバコを吸いながらワーカーたちを乗せ山道を走る。山道はまだ暗く、僕らの住む町より寒い。人通りはない。
目的地はイチゴファーム。僕が11月に無断で消えたファームである。
ファームに着いてみると僕ら以外の多くの車が停まっている。他のワーカーたちである。彼らは中東アジアの人が多い。通称”チーム難民”である。(本当に難民なのか何なのかは知らないですよ?実際気さくないい人達ばかりですよ?)
急いでトロリーを押す。イチゴを乗せて運ぶ荷台付き三輪車のようなものである。「暗い、寒い、眠い…」たくさんの負の感情を抱きながら丘を駆け上がる。息が白い。
丘の上に着きまずタバコを巻く。トロリーに乗り込みイチゴ狩りの準備完了である。
タバコに火をつけイチゴを取りつつ丘を下る。
そろそろ日が出てきた頃だろうか。空が青くなってきた。蠅も出てきた。「腰が限界だ…」そう思いながらタバコを吸う。「帰りたい…まだ3トレイか…」
このファームは綺麗なイチゴをトレイに積んでいく。1トレイごとに値段が決まっておりそれがそのまま収入になる歩合の仕事である。1トレイの値段は週ごとに違う。
やっとの事で丘を降りスーパーバイザーに溜まったトレイを渡す。「Five?」「Ah…Yeah, Five. 」
また丘を駆け上がる。もう日は完全に昇り快晴である。
2回目が終わろうとした時「Today, Finish! You can go home.」との声が響く。
話によると明日明後日は仕事がなく、次回は金曜だと。1ヶ月後には全て終わりそうだと。
本日の成果は4時間半で14トレイ。
バッパーへ帰るとオーナーの奥さんより「明日仕事あるけど行く?」「えーと…(行きたくないなー…やだなー…)」「北の町のオフィスの場所を知ってて車持ってる人がいいって言ってるんだけど…?」「(俺しかいないやつ…選択しないやつ…)」「いってらっしゃい」
明日は5時起きである。
ちなみに今日の晩御飯は大量の人参を消費するために、人参とベーコンをバターとコンソメと塩と胡椒を炒めたやつ。
ワーホリも折り返し地点だしここまでの経過報告
こちらで日々の生活について徒然と記していこうと思います。
本日よりお世話になります。
「ごみむし」です。
一応ハンドルネームとなっておりますので「ごみむし」「ごみくず」「クズ」「蠅」など気軽に呼んでいただけるとありがたく思います。
さて、自己紹介もそこそこにワーホリに来てからの6ヶ月について簡単な時系列で記していきたいと思います。
- 9月
日本を発ちオーストラリアはアデレードに到着。
語学学校に入学
イタリア人ホストマザーの元でホームステイを開始
部屋はガレージ(部屋が足りなくなったとのこと)
- 10月
引き続き語学学校に通う
ホームステイを期間を終了しバッパーへ移動(未だにStayしております)
たまにジャパニーズレストランで皿を洗い日銭を稼ぎ始める
- 11月
語学学校を卒業
友人のスーパーバイザーについていきイチゴ農場で仕事を始める
4日目からスーパーバイザーに昇格するも新たな仕事をするため為3日で辞職
- 12月
新たな職場サラダ工場で働き始める
もろもろのストレス、蕁麻疹の発生などのトラブルにより2週間で辞職
バッパーの紹介によりラベリング工場で働き始める
バッパーと工場の情報伝達ミスにより年越しを待たずしてクビに、無職へ
- 1月
無職のまま半月を過ごす
以前クビになったラベリング工場から再度お呼びがかかる
意気揚々と仕事を始めた矢先、(おっきくてふとい)釘を踏み抜き負傷
1週間のドクターストップの後、再度クビに
バッパーのオーナーからブドウの仕事が始まるとの情報を得る
- 2月
待てども待てどもブドウが始まらず
紹介によりブロッコリー農場で仕事を始める
4日目にしてコントラクターの紹介でインド人から車($250)を友人と購入
5日目にしてブロッコリー農場をクビになる
車のワイパーが動かないことに気づかず雨の高速道路で死にかける
車を修理に出すブレーキパットの交換などで$450の出費
ブドウ農場で働き始める
点検から帰ってきた日に車が故障、高速道路で急停止し死の恐怖を味わう
再度修理へ、ワイパーで$300、フューエルポンプの交換で$400
計$1400の車の完成である
- 3月
ブドウを収穫し続ける日々
駐禁を取られる
車のドアにスマホを挟み携帯電話なしの生活がスタート
友人がバッパーのフェンスに車をぶつける、すごい凹み
朝起きたら車の左ミラーが壊されている
Uターンしようとバックしたらガードレールと接触、リアバンパーが落ちる
- 4月
ブドウのシーズンが終わる、無職へ
路上でギターを弾き、歌い日銭を稼ぐ日々に
と、いう感じで現在へ至っています。
細かく書くと書ききれないほどのことがありました。今の生活は大学生時代の貧乏生活(2ヶ月で20kg減量した)に次ぐ貧乏生活ですが素晴らしい友人たちに囲まれどうにか助けてもらい生きています。これもひとえに私の人徳のなせる業ですね。
残りのワーホリ期間をどう過ごすのか、はたして2nd visaはとれるのか(あの車どうしようか…)
英語のこととか、ワーホリのこと、なにか発信できることがあれば今後このブログで発信できたらなと思います。
よろしくお願い致します。
とりあえず生きていますよ。